2011年10月31日月曜日

フェリーはちのへのお風呂

1989年建造のフェリーはちのへ

3Fには立派なお風呂があります、船全体を見渡すと中央部分にドームのような形の増設したような部分があります、それが展望風呂です。

視界は後方に開けており、ファンネルと海を見ながらの入浴タイムを楽しむことができます。

2011年10月29日土曜日

あさかぜ21のシャワー室

青函フェリーは浴室は備えておらず、シャワー室のみです。

これは「あさかぜ21」のシャワー室

新しいので綺麗ですなぁ
9割がた青函フェリーを利用する時はシャワーを利用します。

べがのお風呂

旧東日本フェリーで3隻建造された中距離型フェリーの「べが」のお風呂

展望浴室ではありません、必要最低限の浴室設備といったところですが、長距離をドライブし凝った体をほぐすのには湯に浸かるのが一番。

風呂上がりにはおビールなど頂いてしばしの眠りにつくのがある意味フェリーでの楽しみでもあります。

ちなみにアルコールは下船までの時間を考えてほどほどにしないと、アルコールが残って運転できない事になってしまいますので注意が必要です。

苫小牧⇔八戸「べが」 川崎近海汽船

2011年10月28日金曜日

えさんの風呂

今はすでに引退してしまいましたが、津軽海峡フェリー(旧道南自動車フェリー)の「えさん」の浴室

このフェリーは何回か利用していますが、このお風呂だけは使っていません、今となってはさくっと入っておけばよかったかなと後悔(^^;

なんか隅っこにかわいいなぁ(笑)

2011年10月26日水曜日

八千代交通 S'elega HD-S

宿泊先で見かけた山形の八千代交通さんのHINO S'elega HD-S

セレガのショートボディです。

自分で所有したくなるバスなんですよねぇ(^^;

2011年10月20日木曜日

久しぶりに仙台方面へ

取りあえず写真だけ(^^;

お昼過ぎに家を出て東北道・仙台北部道路・東部道路経由で仙台港へ到着。

高速道路が混んでる(汗

丁度、神川丸が出港するところでした、いつもは中野埠頭で荷捌きをしますが、この日は雷神埠頭に接岸しておりました。中野埠頭にはフジトランスと栗林商船の大型船がおりふさがっていたのでしょう。

しかし、この手の大型ROROが3隻も連なると壮観です、太平洋フェリーの「きたかみ」もあわせるとさらに。壮観です。

2011年10月17日月曜日

お気に入りの風景⑤

正面に見えるガントリークレーンのある場所は、仙台新港の高砂埠頭、コンテナ船対応の埠頭です。

通称「キリン」です

手前に見えるのは小さな漁港で船溜まりです。

この東側には(手前方向)向洋埠頭といって石炭などを降ろしていたはず。

そこから、大きな防波堤が伸びています。

2011年10月16日日曜日

お気に入りの風景④

蒲生海岸と言います、(確か)
仙台新港の入り口から南側に位置しており、砂浜が広がります。

実はこの仙台新港の入り口を境にして、北側は岩場などが続く地形へ変化し、さらに北へ行くとリアス式海岸になります。

逆に、ここから南側は穏やかな地形となります、相馬のあたりからは地形が変わってきますが、岩場というものではなく砂質で波により浸食されやすい地形となっています。

比較的波が集まる場所でサーファーが多くおります。

この辺りには、干潟などもあり野鳥や海の生物の楽園となっているほか、日本一低いとされた「日和山」があります、しかしながら、津波によって日和山は消失してしまいました。

お気に入りの風景③

仙台新港のタグ溜り

数隻のタグボートが休んでいる場所です
奥には、仙台火力発電所の煙が見えます、現在は被災のため停止中

お気に入りの風景②

まぁ、雑多な画像ではありますが(^^;

港の一部を切り取るとこんな感じです。
月が見えます。

場所は仙台港のタグ溜りのあたり

2011年10月15日土曜日

お気に入りの風景①

仙台新港の夜明けです

仙台港へは、数年前から写真撮影に通っていて、いくつか移り変わりがあります。

元々なのかわかりませんでしたが、夜中は普通車の乗り入れが禁止になっています。埠頭でドリフトする輩が増えたからかと、単車もダメっぽいのでゾッキー対策だったのかな?

SOLAS条約に基づき、外航船の発着する箇所にはフェンスが設けられ警備員が配置されるようになりました。

そのころから、あまり仙台港では写真を撮らなくなりました。

3.11の震災後、相当数の建物が破壊され、火災が起き、伊達正宗の兜を模した灯台は傾きました。

少しずつではありますが機能は回復しています。

2011年10月13日木曜日

ゆにこん

 懐かしい画像を発見

おそらく、以前持っていたBBSに投稿していただいた画像のバックアップだと思います。

東日本フェリーが運航していた初代ゆにこん

ジェットフォイルです
これは、2代目ゆにこん

単胴のウォータージェット推進の高速フェリーです。


この2隻は、事業としては失敗でございまして(^^;
船に問題があったわけではなく、津軽海峡に向いていなかったてことです。

今係船されてるIncatは津軽海峡にも適しているんですが、津軽海峡は3時間50分が丁度いいようで(^^;

2011年10月11日火曜日

季節も変わり

そろそろ、遠距離のVHFも入りが悪くなってきました。
連日入っていた消防仙台も入らなくなりました、なぜか仙南消防だけはずっと入りますが(^^;

今夏の収穫は東京消防が自分が確認するだけで3回の入感、関東圏の消防・救急無線が数件確認できたことでしょうか。

アンテナは南に指向性がありますので北側はあまり入りません。

また本年は震災がありました、それによって陸・海・空自衛隊や海保・消防・防災ヘリ・県警ヘリ・アメリカ軍他様々な部隊が連携していたことが記憶に残っています。また、音声記録も一部残っており、
3/11の地震発生時は停電で電源が落ちるまでどこかの消防の「強い揺れに警戒してください!」の言葉と周囲が揺れる音(PTT入りっぱなし)でガッシャンガッシャンなりながら、ノイズがひどくなりフェードアウトするように切れました。

その後は、予備電源などで消防等は普及するも、自宅はずっと停電、ハンディであちらこちらの無線を傍受するも、錯綜が尋常ない、日も暮れはじめたところ一関の消防からの陸前高田は壊滅状態にある、の言葉にただ事ではないことを感じました。

時間が経過し、日にちが経過し、日米共同で不明者の一斉捜索の時は多数の航空機が投入されるため空からの管制がありました。

夏場、郡山や福島あたりの電波が良く入る用意なりました、消防川内、放射能による立ち入り規制区域への一時帰宅の模様が聞くことが出来ました。

こういった、事象は特別なものと思ってますが、しかしながら日本は地震大国であり、またいつか大きな災害に見舞われることが必ずあると思います、その際の対応についてはこれまでの動きを振り返り検証し将来に役立てることが必要となってきます。

大規模災害の場合、様々な垣根を越えた情報の共有が必要となると感じました、いかに統制を取れるか、わたくしは消防団ですが、消防団員も何をしたらよいかわからずうろうろするのみ、統制を取れる人がいないのが現状です。

今一度振り返って火災の時だけではなく災害という大きなひとくくりで考えなくてはならないのだとわたくしは思います。

今の消防団は飲み会・旅行・操法だけの集まりになってませんか?年に数回の訓練だけでは覚えたことも忘れます。

浜の消防団の中には多くの犠牲が出ています。
心より哀悼の意を表すものであります。

地元消防団いざという時 何が出来るでしょうか