北上川の源流は
七時雨山麓説、丹藤川説、西岳山麓説など諸説がありますが、河川指定上の源を岩手町の御堂観音境内の湧水「弓弭の泉」(ゆはずのいずみ)としています。
弓弭とは「弓の両端の弓弦をかけるところ」のことであり、平安時代、前九年の役でこの地に遠征してきた源義家が、日照りに苦しむ兵馬を助けるために弓弭で岩を突くと、そこからコンコンと清水が流れ出した、という伝説が残されています。
北上川はその後、丹藤川, 松川等の支川を合わせて南流し、徐々に大河の様相を整えていきます。周辺は山間の狭い平地であり、河岸段丘を形成し、周りには水田等の耕作地が広がっています。
その河川風景は、歌人 石川啄木の多くの作品に影響を与えていると言われています。
左の画像は御堂観音境内の裏手の杉の大木
そこに「弓弭の泉」はあります。
七時雨山麓説、丹藤川説、西岳山麓説など諸説がありますが、河川指定上の源を岩手町の御堂観音境内の湧水「弓弭の泉」(ゆはずのいずみ)としています。
弓弭とは「弓の両端の弓弦をかけるところ」のことであり、平安時代、前九年の役でこの地に遠征してきた源義家が、日照りに苦しむ兵馬を助けるために弓弭で岩を突くと、そこからコンコンと清水が流れ出した、という伝説が残されています。
北上川はその後、丹藤川, 松川等の支川を合わせて南流し、徐々に大河の様相を整えていきます。周辺は山間の狭い平地であり、河岸段丘を形成し、周りには水田等の耕作地が広がっています。
その河川風景は、歌人 石川啄木の多くの作品に影響を与えていると言われています。
左の画像は御堂観音境内の裏手の杉の大木
そこに「弓弭の泉」はあります。
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